言い方キツくてすみません。

編集者ときどきライター。仕事以外でつらつら書きます。

身近な異性から「性的な視線を向けられる」ということ。

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 ※この記事はnoteより移行したものです

持って生まれた気の強そうな顔立ち。
短く切りそろえた髪。
中性的な「薫」という名前。
兄と弟に挟まれてすくすくと育まれた粗野な性格や言動。

物心ついた頃から成人するくらいまで、数えきれないほど男性に間違われてきました。

ずっと「蚊帳の外」にいた私

何が言いたいのかというと、私は生まれてこの方、幸いにも性犯罪に巻き込まれることもなければ、セクハラに悩んだり、女性だからと不当に扱われて悔しい思いをしたりした経験が全然ありません。
だから、#MeTooをはじめ、近年より力を増しているフェミニズムの潮流も「そういう経験をしている人もいるんだなぁ」と、同じ女性でありながら、なんとなく蚊帳の外から眺めていました。

でも、ほんの数週間前。自分の片隅で、しばらく言葉にできずにいた「モヤモヤ」にぴしり、と刺さるものと出合いました。

それは、前職の同期・阿部さんが書いたnoteです。
武田砂鉄さんと『男が痴漢になる理由』の斉藤章佳さんの対談をはじめ、とても読み応えのあるレポートなので、兎にも角にもこちらを読んでいただきたいです。

とある少年マンガの表現に目が留まった

さて、私の中にそもそもの「モヤモヤ」が生じたのは、寝る前の日課にしているアプリのマンガを読んでいる最中でした。

その日読んでいたのは、更新を楽しみにしているギャグ作品。ざっくり紹介すると、能力もなければ努力もしない主人公のサキュバス(淫魔)が、他力本願になんとか魂を取ろうとするドタバタストーリーです。
設定上、当然セクシャルなネタは多々ありますが、前述のとおり自分があまりそういうことを気にしない性質なので、普通に読んでいました。
ただ、その回だけはなぜかいつもと違っていたんです。

すごく雑にあらすじを説明させてもらいます。ことの始まりは1枚のチラシ。風俗店チックな「魂と引き換えに最高の快楽を」と書かれたチラシを勝手にばら撒かれ、主人公に指名が入ります。
居候する男子高生とともに指名客の家に飛ばされると、そこにいたのは、彼の学校の先生でした。おっとりとした中年の男性教師です。
「いつもやさしいあの先生が…」とショックを受けるなか、その中年の先生は次のように語りだします。

「女生徒たちの甘くてキラッキラしてフワッフワした空間に何十年も浸かっていると、先生はもうやっちゃいけないことしかやりたくなくなってきたんだ」
「生徒に本当に手を出してしまう前に、自分でトドメを刺さなきゃって…」
「頭の中では全部やったけど、現場で生徒に手を出したことはないぞ」

そして、「どれか着替えてもらおうかな〜」と、購入したという女子用の制服や体操着、スクール水着を広げ始めます。

これだけでも結構エグい回だな…と思う人はきっといるでしょう。私もそうでした。ただ、一番衝撃を受けたのは、また別のもの。先生の自宅の壁にあった「あわよくばランキング」という貼り紙でした。
なんとなく察しがつくかもしれませんが、「2−A 桜井」のような形で、生徒がランク付けされた表です。名字だけなので断定はできませんが、中に「スズキ(姉)」「スズキ(妹)」みたいな記載があることから、恐らく女生徒たちをランキングにまとめたものかな、と。

ファンの間でも物議を醸した回

最初に湧いてきたのは、漠然とした不快感でした。でも、明確に「これは笑えない」という感覚がありました。

しばらく考え込んで、私以外の読者はどう感じたのだろうと、その回の読者コメント欄を見に行くと、

「今までで一番禍々しかった」「冗談抜きで今までで一番やばい」

など、やはり違和感を覚えたのかという感想が。一方で、

「あわよくばランキングは爆笑した」「そんなにドン引き?」

という声。そして先生について

「ギリギリで耐え続けた人間の鑑」「法も何も犯してない善良な一般人だ」

と評するコメントも並んでいました。

こうした反応を目にして、改めて私自身の不快感のワケを考えて「性犯罪をネタにしているからだ」と思うに至りました。
そして、アプリ内の読者コメント機能で、そのような主旨(性犯罪をネタにするのは全然笑えない、みたいな内容)を書き込みました。その投稿は、翌昼頃にチェックした段階で、なぜか跡形もなく消えていました。

ただ、恐らく私へのレスとして「手を出したわけじゃないのに、何が性犯罪なの?」という書き込みを見つけました。なるほど、確かに違法な行為ではないのだな、と反省しました。

そこから「モヤモヤ」が頭の片隅にずっとあったんです。

「モヤモヤ」の正体

そうしてたまたま目にしたのが、先ほど紹介したレポートです。そこには、次のような話があります。

斉藤加害者は力の強い人、被害者は力の弱い人という構図に、想像力が働かない人たちが変わっていかないといけない。あと、なんで私自身が痴漢に遭わないんだろうと考えたことがあった。中村うさぎさんが「男は性的な視点で搾取されたり、性的な視線を向けられたりする経験が少ないでしょ、だから想像できないんだよ」と言っていて、それは確かにそうだと思った。

この斉藤さんの発言に出てくる中村うさぎさんの言葉を読んで、ようやく気づきました。「先生が性的な目で生徒を見る」という描写に、恐怖を感じていたことに。

ちなみに、このソースになる記事やレポートなどは見つからなかったのですが、『DRESS』に掲載されている2018年の斉藤さんと中村さんとの対談記事にも、このようなやり取りがありました。

斉藤:そうです。(中略)また、痴漢加害者の男性が、被害者の恐怖を想像できないのは、男性が性の対象として消費される経験が圧倒的に乏しいからだと感じています。女性は性の対象として消費されることが社会やメディアの中で多々ある。男性はそういった経験が少ないので、“消費されること”のリアルな恐怖を想像することが難しいのかなと。中村:たしかにそうですね。男性に「被害者の気持ちになってみろ」、「お前が女性に触られたらどうだ」と言ったとしても、あまりそこに脅威は感じなさそうです。でも、「体格の良いプロレスラーみたいな人に身体を触られたらどうだ」って言ったらそこで初めて恐怖を想像できるのかもしれない。斉藤:ここは男女間において圧倒的に差がある部分ですよね。私たち男性は、性欲のはけ口として見られた経験がないので、そこに加害者性の欠如があるんじゃないかなと。男性も性の対象として消費される経験があれば、加害者の人たちが、性暴力を振るわれる女性の怖さを想像できるんじゃないかなと思います。

私の信頼する男友達に、この一連のモヤモヤを相談してみても、「まぁ正直なところ、男同士は『ヤリたい女子ランキング』で盛り上がったりするからね」と言っていたので、よくある話なんでしょう。

でも、想像してみてください。こんなふうに毎日のように顔を合わせる身近な人間が、しかも両親の次に近しい大人であり、数少ない自分を庇護するはずの存在が、もしかしたら自分に性的な視線を向けているかもしれない、と。

最近は、本当にたくさんの素晴らしいマンガが、ウェブやアプリで気軽に読める時代です。ではもし、これを現役の女子中高生が読んだら…?

「まなざし」の罪は問えない

当たり前ですが、異性に性的な目線を向けることは犯罪ではありません。法的に裁こうとすれば大変なことになるでしょう。というか不可能です。
でも、そんな罪に問えない表現が、女性に信じられないほどの恐怖を与えるリスクを孕んでいるかもしれない、と思うのです。そう考えるには十分、このマンガは「性的な視線を向けられることの恐ろしさ」を私に教えてくれました。

私は、少年マンガも青年マンガも大好きです。「不二子ちゃ〜ん」とか「のび太さんのエッチ!」みたいなお色気ネタだって、作品が持つ魅力の一つと考えているような、性的描写に関してゆるい人間です。すべて有害だから表現を規制するべきなんて思いません。
でも、法を犯してなければ何してもいいのでしょうか? たとえば、見たい人だけに届けるような、いわゆる「ゾーニング」はできないのかなーと。

※このアプリはApp Storeでは、デベロッパの申請に基づき「年齢制限指定 12+」になっています(2019年3月現在)。ちなみに、Twitterのレートは2017年に17歳以上に引き上げられています

表現をめぐる線引きは「違法かどうか」でよいのか?

書いてみて気づきましたが、数年前からネットでちょこちょこ目にする、いわゆる「まなざし村」の話そのものなんですよね。
※この言葉に明確な定義がなされているわけではありませんが、大まかに「女性や女性キャラに性的なまなざしを向けることは性差別だ」という論拠に基づいて、表現の自由を規制すべきとする過激なフェミニストを揶揄するネットスラングです

私はフェミニストと名乗るには、まるで当事者としての経験も、理解も足りない人間です。誤解を恐れずに言えば、あえてそうありたいとも思っていません。
なぜなら今回の件で感じたのは、自分の女性としての生きづらさよりも、マンガ好きとしての表現のあり方への疑問だったり、「もしこれを女の子が読んでしまったら、どう感じるだろうか?」という老婆心だったりに起因しているからです。

フェミニズムに限らず、世の中には「そのほうがいいかもしれないけど、それじゃ成り立たないからさ」と見て見ぬふりをされている物事があります。特に、マイノリティが声を上げる場合「こんなことで差別と騒ぐのか」「こんな話、今までいくらでもあっただろう」と言う人もいます。

でも、公民権運動からの奴隷解放も、フランス革命から始まる女性参政権も、きっと最初に声を上げた人は常識外れの人だったはず。そう考えると、この出来事を「まぁ、仕方ないや」と清濁併せ呑むことが今の私にはできなかったんです。

当事者意識は持てないけれど…

長々と女性目線で書いてみましたが、「異性に性的な視線を向けること」は男性に限った話では終わらない気がしています。直接的ではないにせよ、ネット上で自分も含めた女性が、男性に対する性的な目線を公然と向けているのことだってあるかも、と感じる瞬間が個人的にはあります。たとえばBLジャンルとか(もちろん、ゾーニングを徹底してきた腐女子はたくさんいます)。

偏った価値観のまま数年、数十年と生きてきた我々以上の世代は、何度でもこんな価値観の見直しを続けていくことが義務だと感じます。それは、自分のためではなく、こんな思いを下の世代には味わってほしくないから。

今日の、明日の自分の生活がおびやかされる話ではないですし、どうしていくべきか、まだ考えはまとまらないまま。少なくとも必要なのは、自分ではない誰かの不利益を思う「ほんの少しの想像力」なのかな…というのが、ひとまずの私の答えです。
なので、もしこの記事を読んで何か思うことがあれば、コメントでもDMでも投げてもらえると嬉しいです。いろんな人の考えに触れたいです。

ちなみに、先ほど言及したマンガのオチでは、男子高生が先生に性的な視線を向けられ始める、という描写があります。なので、作者はこの辺りも想定しながら物語を作ったのかもしれませんね。
私はそこも含めて、やっぱり笑えなかったのですが。